ブログの更新情報
- 08月26日 : 与力町・同心町の由来
- 08月26日 : 自衛隊皿うどん
- 08月26日 : 高麗橋の由来
- 08月26日 : おからクッキー
- 08月25日 : 動画配信サイト
- 更新情報はRSSでも配信しております。
与力町・同心町の由来
2010年8月26日 14:40 / カテゴリ:[ 知識として ]
大阪市北区に与力町(よりきちょう)・同心町(どうしんちょう)という地名がある。
地名の由来は、江戸時代大阪町奉行所の役人である与力(町奉行を補佐し、大阪の行政・司法・警察の任にあたった役人)と同心(与力の下にあって庶務・警察などの公務に就いた下級役人)の居住地があったことによる。
この地は江戸時代において摂津国西成郡豊崎村川崎にあった。与力町・同心町は俗称で、ともに明治33年(1900年)以後の町名である。
なお、現在の大阪市北区天満1丁目の造幣局構内にある有名な与力の住んだ与力屋敷があった。彼の名前は大塩平八郎。大阪町奉行所の与力だった平八郎は、自宅に陽明学の家塾「洗心洞」を開いていたが、天保の大飢饉に窮民救済を町奉行所に請願したが断られたため、天保8年(1837年)2月19日、救民・幕政批判の兵を挙げた(大塩平八郎の乱)。乱は半日で平定され平八郎は自殺したが、この事件が当時の社会に与えた影響は大きかった。現在、造幣局内に洗心洞跡がある。
自衛隊皿うどん
2010年8月26日 14:40 / カテゴリ:[ 食べ物 ]
大村航空基地隊提供のレシピです。
<材料>(4人分)
焼きそば揚げ麺・・200g
長ねぎ・・80g
豚中肉スライス・・40g
はんぺん・・40g
白菜・・120g
さやいんげん・・80g
たまねぎ・・80g
豚骨・・100g
人参・・40g
鶏骨・・100g
もやし・・40g
スープの素・・適量
むきえび・・80g
片栗粉・・適量
シーフードミックス・・120g
こしょう+塩・・少々
サラダ油・・適量
<作り方>
1:豚骨・鶏骨を鍋に入れ、材料がかぶるくらいの水を入れて煮込み、あらかじめだしを取っておく。
2:中華鍋にサラダ油をひき、豚肉を炒める。むきえび・シーフードミックスを入れ、火を通す。短冊切りにした白菜、スライスしたたまねぎ・にんじん・はんぺん、1/3にカットしたいんげんを炒めしんなりしてきたら、もやしを入れ更に炒める。
3:豚骨・鶏骨のだしを入れ、さっと煮込み、スープの素、こしょう、塩で味を整える。
4:弱火で水溶き片栗粉を流し入れ全体にとろみがついたら、ごま油をまわしかけ香りをつける。
5:皿に盛った焼きそば揚げ麺の上に、あんをかけて出来上がり。
高麗橋の由来
2010年8月26日 14:40 / カテゴリ:[ 食べ物 ]
何回かここまで地名の由来についてを書いてきたが、地名や人の由来などをまとめたものをホームページ作成ソフトにて現在作成中。いつかまとめて公開したいと思う。
大阪市中央区に高麗橋(こうらいばし)という地名がある。
この地名は江戸時代から存在し、東横掘川に東西に架かる高麗橋の通りに因む。
高麗橋は朝鮮通信使の来朝のため架けられたといわれるが、一説には橋東側に難波高麗館(こまのむろつみ)があったため豊臣秀吉がこの地に橋をかけさせたとも言われている。秀吉の東横掘川開削は文禄3年(1594年)ごろなので、架橋もこれと同時期だったと考えられる。
江戸時代、高麗橋は大阪に12あった公儀橋(幕府が直接管理した橋)の一つで、東詰に銀座があり、西詰に幕府の高札場があった。江戸期大阪の中心街であり、高麗橋通りには越後屋(三井の前身)を筆頭に呉服商・両替屋・紙屋などが立ち並んでいた。
ちなみに、高麗橋は近松門左衛門の浄瑠璃『鑓の権三重帷子』(やりのごんざかさねのかたびら)の舞台にもなった。
